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水織 -Today is the first day of the rest of your life.-

きてくれてありがとう。 mizusikiの毎日の発見を、ちょこっとおすそ分け。。

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停電の夜に / Jhumpa Lahiri

 
停電の夜に

 友達とお泊まり会をした夜、

 

真っ暗闇の中でお互いの顔も見えないのに

天井相手なのか、友達相手なのかよく分からないくらい、とりとめもなく語りあった。

悩みや、日頃思うことが、するすると、唇を止め処もなく伝っていった。

そういえば、修学旅行の夜には電気を消して顔を近づけて、よく恋バナをしたっけ。

なんでかな。

闇は、光には照らし出せない部分を照らし出す力があるのかもしれない。

 

 この本の一番はじめに登場する、うまくいっていない夫婦の話を読んで

そんなことを考えた。

彼らは停電の夜に、お互いが話さなければならないことを話し始める。

 

この本は短いお話がいくつか入っている。

ほかの物語は停電とはあまり関係はないが、特徴がある。

静かで、淡々としているのだ。

かといってすらすら読めるわけでもない。

わたしはものすごく時間がかかった。

言葉ひとつひとつが繊細で、読み流してはいけないような気がするのだ。

その分、とても味わえる。ラストになって、ハッとする。

 

多くがアメリカとインドに関わる話ということも一致している。

そもそも作者はロンドン生まれのベンガル人の女性だ。

子供の頃に渡米して、ロードアイランド州で育った。

この本の原題は、実はInterpretor of Maladies(病気の通訳)という。

狭間にたった見方が得意なのかもしれない。

アメリカとインドの、両者の特徴がよく表れている。




最終更新日  2006.07.08 18:55:19

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いつか森で会う日まで / 田口ランディ

  「自然を楽しむ」という事は、人によっては「ピカソの絵を楽しむ」

ということと同等だったりする。

作家、田口ランディさんも、そのようなことを考えたようです。

彼女はヘゴの樹を、岡本太郎の女神の彫刻と似ている、と思ったのだって。

 ランディさんは水俣病フォーラムでちょっとお話を聞いてから、

わたしの中で気になる人だった。

水俣で感じたことをとっても激情的に語る彼女を見ていて、

この人はどんな言葉の織り方をするのだろう、と考えていた。

 

 幸いなことに昨日、彼女の本に偶然にも出会った。

電車の中、ざっと一時間。一気に読み終えた。

この本は物語ってわけじゃないけど、エッセイというほど、自分を中心に置いていない。

舞台は屋久島だ。

学ぶことが多かったので、思いついたこと、気になった言葉をとりとめもなく記しておきます。



植物は人間の見方。

でも、私が最初に感じたことは、ちょっと違った。

そんなふうに、自分の側に引き寄せて植物を思えなかった。

この存在は、なにか違うものだ。とてつもなく違うものだ。

人間とは根本的に違うものだ。


わたしも、植物をわたしと同じ部類だとはなかなか思えない。

何か違う領域、彼らはその魂をどこか遠い聖域に置き残しているような気がする。

だから「地球にやさしく」とか、ちょっとわたしは賛同できない。

 

サンゴは樹と違って動物なのだけれど、かなり変わった動物だ。

自分の中に単細胞の植物をたくさん共生させていて、

その植物が光合成をして食べ物を作ってくれる。

だからサンゴは動き回ってエサを捕獲しなくてもいい。

ならば人間はなぜこんな面倒な仕組みの体を持っているのだろう。

サンゴみたいだったら欲のひとつがなくなって、

もうちょっと平和に暮らせるかもしれないのに。

 

悪女ヤマグルマに抱きつかれたヤクスギが

ぎゅうぎゅう締め上げられている図をいくらでも見かける。

でも、この二人の関係がどうなるかは、たぶん2百年くらい経たないとわからない。

 

その頃はランディさんもわたしも、そしてあなたもこの世に存在していない。

人間はなんて空しいのだろう。

恋愛ドラマのひとつも見届けられないなんて。

 

人間はどんどん森林を伐採してジャングルを消している。

植物は消えている。

それなのに酸素濃度の量は変わらない。

考えてみればとても不思議なことだ。

ニュースの一面に「酸素不足です!」なんて書いてある日は一度もなかった。

なんで?植物が必死にがんばっているのかな?

そもそも酸素がなくなっているなんて、気づく力を持っているのか?

アイヌの民族は一本の樹を切ったら新しい樹を植える。

そういう循環が、自然界の中でうまく働いているのかもしれない。

 

人間は女性の性器にこの花(蘭)のデザインを取り入れた。

カミ様の遊び心とセンスに脱帽だ。


そのスギは、とってもハンサムに見えた。

若くて、男らしくて、かっこよかったのだ。

ようするに、私は惚れてしまった。

びしょ濡れになるって、けっこういいんだ。

びしょ濡れになる快感って、ある。


海から陸に上がってきた生き物は、自分の内側に海を封じ込めた。

そしてのろのろと地上に現れた。

辛かっただろうなあ、海から上がった最初の生物。

ダイビングした後、タンク背負って陸に上がるとき、私はいつもそう思う。

重力の中を生きるって過酷だ・・・と。

人の体は70%が水。

「山が在って

その山のもとを

水が流れている

その水は うたがいもなく わたくしである

水が 流れている

水が 真実に 流れている

山尾 三省」


「地下鉄の

鉄骨にも

一本の電柱にも

ながれている血がある

そこでは

血は

立ったまま眠っている

寺山 修司」

ランディさんは14歳のときに寺山さんにファンレターを送って

「あなたには文才がありあます」と返事を貰ったらしい。

この詩は、生きる意味を失った人たちとリンクさせることができる。

森に入ると、不思議とわたしの血が騒ぐ。

わたしは自然を愛していて、

そして愛されたいと、心底、望んでいる。

いつか森で会う日まで




 2006.06.28 15:56:19

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『数の悪魔』/エンツェンスベルガー

img72432e7ajxorgg.gifモデル」を扱う授業が、大嫌いだった。

英語では「構文」、数学なら「公式」。。。。

 高校生のとき、英語の先生に「この構文はなぜこうなるの?」って聞いた。

その先生は「そういうものだから」と答えた。

ガッッッデム!!!!!!! 許しがたい答!!!!!!

 数学の授業は、はじめおもしろかった。

でもだんだん進むスピードが速くなって、暗記した公式を使って応用する力を要求された。

その公式がなぜ、どうやって成り立ったかなんて教えてくれなかった。

これは古代ギリシャの数学者や、0を発見した偉大なる中国人への冒涜だと思った。

 そのうちわたしは、

なぜ10という数が存在するのか、

どうして数は1から9までで、

その次からは1+0の、つまり10になるのかが分からなくなって・・・・混乱。

わたしは数とか、図形は嫌いじゃない。本当はたぶん好きなはず。

妥協してしまったわたしが一番悪いんだけど。。。

でも自分が「何故?」と問うことが否定されている気がして、なんだか恥ずかしくなって、愛する数の魔法たちに背を向けた。

確かに証明というのは、リングの上を回っているようなもので、手ごわい奴だ。

考えれば考えるほど、出口は遠くなる。

高校の勉強が大学に受かるためと考えるならなおさら面倒でやっかいな話だ。

だから仕方なかったのだと思う。

でも先生には少なくとも、「そういうもんだ」なんて答えてほしくなかった。

 

 前置きが長くなったけれど、わたしは先日こんな本に出会った♪

数の悪魔普及版

 

『数の悪魔』/エンツェンスベルガー

数の悪魔は結構いいやつで、わたしの素朴な疑問に丁寧に答えてくれる。

でもしかし!この本を読んでも最後まで分からないことはいろいろある。

なんで自然界のものが黄金比で成り立ってるのかとか、どうして数は無限なのかとか・・・・・

でもこの悪魔は「そういうもんだ」なんて決していわない。

ちゃんと証明できないわけを説明してくれる。

そういう先生が欲しかったな~~~悪魔でも構わないのに。

 

☆トップの図形について☆

点の数+面の数-線の数=1

この公式はどんな図形にもあてはまって、みんな答が1に!!!!

・・・・Why ?




2006.06.13 20:20:21

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『今日は、死ぬにはいい日だ。 ―Today is a good day to die 』 / 木戸寛行

今日は、死ぬにはいい日だ。

 

 題名を見たとき、ん??と思った。なんだこりゃ。自殺を促してるのか、まさかね

そりゃぁそうだ。わたしにとっての『死』はネガティブワードだから。
多分世間にとってもそうなんだと思う。


読んでみると、これはインディアンの言葉だということがわかった。

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ドナービジネス / 一橋文哉

ドナービジネス


わたしは今、臓器提供者になるべきか、真剣に悩んでいます。悩む理由は4つ。

・親が「いくら死後とはいえども、できればmizusikiの体は綺麗なままであってほしい」と言う
・脳死と判断された場合、万一生き返る可能性もドナーによって摘み取られてしまう
・人が死ぬのはやはり運命なのではないか、臓器をあげたり受け取ったりするのは自然の法則に反しているのではないか、という後ろめたさ
・ドナーを広めることの、言葉にできない罪悪感


わたしは臓器提供意思表示カードを持っています。
かれこれ一年間、机の引き出しに入れて、週に1回くらいは悩んできました。未だに署名できないでいます。ドナーのことをきちんと勉強すればちょっとくらいは答えに近づけるかもしれない。
そう思ってこの本を読み始めたのですが・・

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プロフィール

HN:
mizusiki
性別:
女性
職業:
戦え!サラリーウーマン
自己紹介:
出来損ないの人間に生まれてから日々成長しています。
好きなことばはインディアンの言葉、
today is a good day for die.
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