舞台は西アフリカの小さな村。
ある日コレのもとに4人の女の子たちが
女性性器切除の儀式からの”モーラーデ”(保護)を求めてやってきました。
そしてコレは”モーラーデ”をし、伝統に、支配者である男たちに逆らうことを決意します。
全ては未来の為に。
すごくポジティブに描かれた映画でした。
悲しいところにあまり触れないので、始めは少し怒りを覚えました。
でもラストのシーンではやはりズシリとくるものがあって、監督の意図がなんとなく解った気がしました。
どこの国でも、男は女を支配してきました。
西欧の『レディ・ファースト』はもともと、女性を弱者、さらにはペットとして見ていたからこそ生まれた言葉でした。
マジョリティがマイノリティを恐れるように、男は女を決して自由にしてこなかった。
だからこの映画では、女はラジオを聞いてはいけない規律ができます。
ラジオは教育を与え、教育を持った女が賢くなって男に逆らうことを、
男は恐れたからです。
私的な話になりますが、今でもわたしは、わたしが女であることを呪うときがあります。
毎月生理の激痛の日には、どうして女だけ・・?と何度も呪いました。
神は本当に女を罰しているのかもしれないとも思いました。
でも、性器切除に関しては完全に違うと言い切れます。神はそんなお告げを下していない。
「昔からいわれていることだけれど、どこにも書かれていない」んです。
この映画はユーモアがあって、楽しかった。
でもそれよりも怒り、怒りこそがわたしの心の中に沸々と浮き上がってきた。
みんな始めは儀式を受け入れていた。そういうものだと思っていた。
でも気付くんです。
自分のお金で買ったラジオが焼かれたり、
自分の娘が儀式で死んだり、
正義の商人が殺されたりして、
気付き始めるんです。何か違うかもしれないと。
わたしたちも無意識、意識的に盲目になるときがある。
でも恐れずに見なければならないこともたくさんあるでしょう。
そしてまた同じように、守るに値する伝統もたくさんあることに気付くのです。
モーラーデーのように。
この映画は第57回カンヌ国際映画祭で『ある視点部門 グランプリ賞』を獲得しています。
予告動画をみたい方はこちらからどうぞ→BIGLOBE ストリーム
FGM、アフリカの研究には・・
☆ 『ドゥドゥ・ニジャェ・ローズ パーカッション・オーケストラ』IN すみだトリフォニー・ホール
この記事にトラックバックする