ボーダーというのは、ふたつある。
地理的なボーダー、そして心のボーダー。
世の中はグローバリゼーション。
ボーダーレスの時代といわれるけど、実際は、どこまでボーダーがなくなったのか?
発展途上国に観光に行く先進国の人々。
いざその国に観光ではなく立ち入ってしまうと、不意に恐怖を覚える。
そこで銃撃があったら、国同士の関係は瞬く間に崩れ、過敏になり、ボーダーが蘇る。
イラクとアメリカのように。
メキシコ人が今もっている文化。
映画に出てくるけど、鶏を生きたままクルクルまわして首をちょんぎり、首なしの鶏を子供たちが追っかけまわすとか。
いざ目の前で見せ付けられると、ものすごいカルチャーショックをうける。
それは欧米人にとっては「野蛮」にしかならない場合が多い。
そうやってチャリティーの歴史は作られたんだろうと思う。
どんなに友達ときゃあきゃあ騒いでも、満たされたない心。
見て欲しい、分かって欲しい、聞いてほしい、といつも願う。
食べても食べても、物足りない。分かち合えない。
それが、障害を持つ人なら尚更なのかもしれない。
最後に印象的なシーンがふたつあった。
ひとつは、風に立ち向かうモロッコの兄弟。
彼らをもとの場所に引き戻そうとするものはなんだろうか。
それから、都会のど真ん中で全裸のチエコ。
彼女は天使に見えた。
曝け出すって、こんなに異質なものに見えるのか。
菊地凛子さんですが、ものすごい体当たりな演技です。
人によっては気分を悪くすると思います。
彼女の眼と唇、チエコの感情そのものという感じがしました。
日本はかなり登場しますが、日本をここまでリアルに描いたのは、監督はすごい。
ナンパしにきた男の子が、チエコに声をかけても気付いてくれないのに不安になって仲間たちの方を見る姿とか、ちょっとしたところにも今の日本が溢れている感じがしました。
アカデミー賞助演女優賞はもう一人ノミネートされています。
メキシコ人の乳母役、アドリアナ・バラッサさん。
こちらも女優魂を見せ付ける、体当たりな演技でした。
そうそう、もう乳母=黒人女性じゃないんだな、というのもハッとさせられました。
エンディングででた子供たちに向けた監督の言葉、
「暗闇の中の光」。
世界は完全な絶望ではなく、ほんの少し、ほんの少しだけ光がある気がして、世界のみんながそれを求めて進んでいくのだろうと思います。
・・・そう、思いたいのだろうと思います。
長くなりましたが、まだ書ききれないくらい。こんなにいろんな感想をもった映画は久しぶり。
全体的にみて、『クラッシュ』と構成というか、感じが似ている気がしました。
それに、先日読んだ『市場の中の女の子』。
ジャンルは全く違うけれども、こちらともメッセージが繋がっていく感じがしました。
これから観る人には、あまりかたくならず、リラックスして、素直に観て頂きたいなと思います。
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