水俣病フォーラムに行ってきました。
わたしは、患者さんたちが体験談などをお話になり「公害病が二度と起きないようにしよう」というようなことをおっしゃるだけだろうと思って気軽に参加しました。
主旨は確かにそうなんですが、話はもっと大きかった。
私と水俣病との最初の出会いは、小学校の高学年のときだったと思います。
教科書に載っていた記憶があります。
教科書というのは、わたしにとって過去の出来事を記したものでした。
だって全部過去形なんだし。
だから水俣病も過去の病気で、今はもう解決してるとばかり思っていました。
水俣病を政府が認めてから50年。
実際には水俣病はそのもっと前から姿を現していたのですが半世紀が経ちました。
けれど今日発言をした方々に共通する意見は「水俣病は終わっていない」ということでした。
だからこのフォーラムのタイトルが「新たな50年のために」だったのです。
人間はやはり自然のサイクルの中で生きています。それを人間は自らの手で壊しました。プランクトンが死に、魚が死に、猫が死に、海鳥が死に、豚も死んだかもしれない、そして人間も死んだのです。静かで、高度成長期を迎えた東京のような騒がしさはない水俣で、それは確かにあったのです。
私たちはその事件を知るにつれて
「なぜこんなことが起こったの?」
「誰が悪いの?」
と疑問に思い、
「政府が悪い」
「チッソが悪い」
という答を導き出します。
そして責任を国や会社に求めます。だけどその後どうすればよいのか?
現在4000人の患者が新たに生まれ、1000人が裁判所に向かっている中で。
私たちは結局、田口ランディさんがおっしゃったように、「許すしかない」のです。
そして忘れないことです。
歴史は教科書の年号の隣で生きているわけじゃない。
私たちのすぐ隣に、悲しみを残していることを、忘れちゃいけないと思うんです。
国や会社の責任にしても、結局わたしたちは高度成長期の恩恵を受けたのです。
今もその恩恵のお陰で便利に豊かに戦争なんて考えることもせずに生きていられる。
わたしたちは直接の加害者ではありませんが、水俣病を見てみぬふりをすれば、被害者にとっては加害者と同じだと思います。
患者さんの中に、「水俣病はのさり(賜り物)だ」とおっしゃる方がいます。
なんて広い心なのだろうと思いますが、それは何度も何度も、ご自分自身に言い聞かせてきた言葉でもあるのだろうと思います。
フォーラムの後は、懇親会に参加をしました。
素晴らしい演説をなさった患者さんもいらっしゃったので、声をかけ、名刺をいただきました。
その方は「若い人に期待する」とおっしゃってくださいました。
その期待にこたえたいと思います。
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