『バカの壁』を、3年ぶりに読んだ。
不思議なことに、3年前に感じた事と、今感じる事はかなり違う。
本(情報)は変わらない、だとすればわたしが変わったんだろうな。
成長したということかな、だといいな。
**メモ**
p53
ヘラクエイトスは「万物は流転する」と言いました。
・・・昨日の寝る前の「私」と起きた後の「私」は明らかに別人ですし、
去年の「私」と今年の「私」も別人のはずです。
しかし、朝起きるたびに、生まれ変わった、という実感は沸きません。
これは脳の働きによるものです。脳は社会生活を普通に営むために、
「個性」ではなく、「共通性」を追求することは既に述べました。
・・・では、逆に流転しないものとは何か。
実はそれが「情報」なのです。
・・・彼に「あなたの”万物は流転する”という言葉は流転したのですか」と聞いたら何と答えるのでしょう。
//「情報はどんどん新しくなる」それが現代人の思うことだ。でも実際は増えていっているだけ。わたしがなんでいちいち情報を集めたくなるのか分った。
Today is the first day of the rest of your life
p71
同じ人間が同じ言葉を同じように発音したつもりでも、
インクの乗り具合同様、やはりどこかが違うのです。
しかし、我々はそれを同じリンゴとして、全員が了解している。
私の知る限り、この問題を最初に議論したのがプラトンです。
彼は何と言ったかと言うと、リンゴという言葉が包括している、
全てのリンゴの性質を供えた完全無欠なリンゴがある。
それをリンゴの「イデア」と呼ぶのだ、と。
・・・つまり、言葉は意識そのもの、それから派生したものなのです。
p74
「机の上にリンゴがあります」というときに、
英語では「There is an apple on the table」と言う。
・・・「机の上に何かあって、それが視覚情報として脳に入ってきたときに、私の脳みそで言語活動が起こった、リンゴ活動が起きた」
そのときは「an apple」なんです。・・・
では次に、その外界のリンゴを本当に手でつかんでかじってみます。
もしかするとそれは実際には蝋細工かもしれません。
ともかく、この時点でようやく実態としてのリンゴになります。
それが英語では「The apple」となります。
p108
アウシュビッツの強制収容所に収容されていた経験を持つV・E・フランクルという心理学者がいます。
・・・そうした著書や講演の中で、彼は一貫して「人生の意味」について論じていました。
そして、「意味は外部にある」と言っている。
p158
「ゆとり教育」とか「自然学習」といったものが盛んに唱えられるようになりました。
・・・私が関わっている保育園が、毎年1回、契約している芋畑に芋ほりに行く。
ある日、そこに言ったら、隣に同じような芋畑があって、
全部、葉っぱがしおれている。
そこのお百姓さんに、「あれ、何ですか」と聞いたら、
「お宅と同じで、幼稚園の芋ほり用の畑ですよ」
「だけど、全部、しおれているじゃないですか。どうしてですか」
「あそこの幼稚園の芋は、子供が引っ張ったらすぐに抜けるように最初から掘ってある。一遍、掘って埋め直してあるからしおれているんだよ」
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