外交貿易港として栄えた都市であり、
キリスト教信者が迫害をうけた都市であり、
そして広島に次いで原子爆弾を投下された都市でもある、長崎市。
そんなこの街には一体、何が眠っているのか?? 知りたくて訪れてみた。
上は長崎市で見た初日の出。夜になるとかなり美しい夜景が見れる。
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天を指す指は原爆の脅威、水平に伸ばした腕は平和、閉じたまぶたは原爆犠牲者の冥福の祈りを表す。
平和公園に寄贈されたたくさんの千羽鶴。一羽一羽が未来を背負っている!
大浦天主堂。ガイドが随時放送されているが、騒々しくてわたしはあまり好きじゃないな。
グラバー園とも繋がっている。天主堂のすぐ近くにあるキリシタン博物館は勉強になる。
今回の旅のメインである
浦上天主堂に行った。
下は原爆で全壊した浦上天主堂の鐘楼。かなり大きく、当時は東洋一だった大聖堂の姿が偲ばれる。
被爆した石像。中央はイエス・キリスト。
彼らはあれからずっと、ず~っと、長崎を見守っている。
本堂とは別に、ここには被爆したマリア像が大切に保管されている。
以前
田口ランディさんの被爆のマリアを読んで、わたしは彼女の存在を知った。
どうしても逢って見たいと思った。
マリア像はその昔、迫害されたキリシタンのために作られた。
高さは2メートルほどあったが、被爆後は26センチの顔の部分だけが残った。
唯一残った木像である。
終戦の後は復員した修道士によって北海道のトラピストで保管されていたが、
被爆60周年を迎える2005年に浦上天主堂に戻された。
彼女の頬は焼けただれ、血色がない肌はところどころ剥げ落ちている。
ぽっかり空いたふたつの目の奥には、果てしない空虚が広がっている。
流す涙さえ吸い込まれて外へ抜け出すことができない。
原爆の閃光さえ吸い込んだのだと思う。
わたしはこの嘆きの顔を見て、すっかり感情移入してしまった。
彼女の顔には人間の罪、すべてがのしかかっていると思った。
だからわたしは、謝った。
わたしの罪、罪、この世に蔓延るすべての罪・・・・
別にわたしが謝ったからといって何か変わるわけじゃない。
全く意味のないことだ。
というかその前に、クリスチャンじゃないし。
けれどわたしは謝りたかった。
それくらいこの被爆のマリアには暗い、重い、巨大な影があった。