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ふっくりとあざやかな色をした内蔵のきれはしを解剖室にとどめて、彼の遺体を積み込んだ霊柩車が、うそ寒い水俣川の土手を走り去ると、同じくその川土手を、白い晴れ着をはたはたとさせて、笑いさざめく娘らの一団がこぼれるようにやって来た。
彼は実に立派な漁師顔をしていた。
鼻梁の高い頬骨の引き締まった、実に鋭い、切れ長のまなざしをしていた。
ときどきぴくぴくと痙攣する彼の頬の肉には、まだ健康さが少し残っていた。
しかし彼の料の腕と足は、まるで激浪にけずりとられて年輪の中の芯だけ残って陸(おか)に打ち上げられた一本の流木のような工合になっていた。
それでも、骨だけになった彼の腕と両足を、汐風に灼けた肌がぴったりとくるんでいた。
安らかにねむって下さい、などという言葉は、しばしば、生者たちの欺瞞のために使われる。
人間な死ねばまた人間に生まれてくっとじゃろうか。
うちゃやっぱり、ほかのもんに生まれ替わらず、人間に生まれ替わってきたがよか。
しかし考えてもみてくだっせ。p229
わしのように、一生かかって一本釣の舟一艚、かかひとり、わしゃかかひとりを自分のおなごとおもうて―大名様とおもうて祟(うやま)うてきて―それから息子がひとりでけて、それに福ののさりのあって、三人の孫にめぐまれて、家はめかかりのとおりでござすばって、雨の漏ればあしたすぐ修繕するたくわえの銭は無かが、そのうちにゃ、いずれは修繕しいしいして、めかかりの通りに暮らしてきましたばな。
坊さまのいわすとおり、上を見らずに暮らしさえすれば、この上の不足のあろうはずもなか。漁師っちゅうもんはこの上なか仕事でござすばい。
そんならとうちゃん、ゆりが吐きよる息は何の息じゃろか―。
草の吐きよる息じゃろか。
うちは不思議で、ようくゆりば嗅いでみる。やっぱりゆりの匂いするもね。
ゆりの汗じゃの、息の匂いのするもね。
体ばきれいに拭いてやったときには、赤子のときとはまた違う、肌のふくいくしたか匂いするもね。娘のこの匂いじゃとうちは思うがな。
思うて悪かろか―。
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